数字は副産物
読書をすることすると何がいいかって、語彙力が上がるとか、読解力が上がるとか、国語の成績が上がるとかいうじゃないですか。
でも読書をするのにそういう具体的な目標を見ながらすることはあんまりお勧めできないんですよね。
なんでかというと、そういう具体的な目標は読書の副産物であって、本当にそれが得られるかはわからないからです。
仕事の目標の場合はできるだけ具体的にっていう話は聞いたことありますけど、仕事の場合は目標が明確に立ちやすいし、目標達成ありき、結果ありきじゃないですか。
ところが読書の成果ってどこに結果があるか不明ですよね。
どこまで読めればいいかという事がありません。寧ろ読めば読むほど自分が読書をしていないことが分かって来るものなのでゴールがあるわけではありません。
本当に点数が上がるかどうかわからないけど読書をしている。そういう人がいいんです。
実力が本当につくのは読書をたくさん読んだ後に得ることができることで、1.2冊読んだくらいでは目標の成果を上げることはほとんど難しいからです。
しかし点数は上がらないかもしれないですけど、ちゃんと読んだら世界観が変わる感覚はあるはずです。
読書をする意味は収入が上がるとか、点数が上がることではないんです。
そして少し読んだくらいで成果が得られると思ってしまうと、実際にそれが得られたか試してみたくなります。でも読んでいる量が少ないですから結局成果は得られていません。得られてもほんの少しでしょう。
つまり上記の目標と、読書では原因と結果が直接結びついているわけではないんです。
確かにたくさん本を読んでいる人は上記の目標を到達できている人が多いです。
たくさん読んでいる人は収入が多いとか、テストの点数が高いとかですね。
しかしそれは人よりも力があるように目に見えるくらいの量をコナしているからです。
読書に限ったことじゃないと思いますけど、成果というのは普通の人ができない量を達成したくらいに知らないうちに得られるものです。
本当に数字が得られるのか?と疑ったりしながら読んでいては読書で得られるものも得られません。純粋に楽しむしかないんです。
好きになることこそ近道
ですから圧倒的な量をコナしていないと話になりませんから、読書で具体的な数字を上げようとすると読書が嫌になってしまいかねません。
千里の道も一歩からといいますが、初めから一足飛びに千里を行こうとしてもいけませんから初めから行こうとせずに、目の前の本を楽しみましょう。
まずは読書自体を好きになることが重要です。遠い目標を見るのではなくて、目の前にある一冊の本を理解することからです。
そうすることによって長期的に本を読み続けることができます。
どんなに急いだって一日に読める本の数は限られています。ではどうやってたくさん読むかと言ったら長期的に読み続けることです。
読書の力って案外「しつこさ」だったりする。読書を長続きさせるには。 - ノーミソ刺激ノート
人間関係であってもそうじゃないですか。
店員に勧められたものを思わず買ってしまう心理というのもそういうものですよね。店員が「売上を上げたい!」という根性丸出しで来られたら客はふつう逃げますよね。
逆に買ってしまうのは客の立場になって、目の前にいるお客さんのための、あらゆる知識と経験を加味して話をされると買ってしまったりします。
哲学書1000冊読んだらどうなるか。 - ノーミソ刺激ノート